トムクルーズの若い頃の伝説エピソード11選!
- 漫画の世界よりも展開が速かった10代のトムクルーズ
- 俳優として売れる前はバスボーイとしてアルバイトをしていた
- 家庭環境が壮絶で貧乏な生活を送っていた幼少期
- 歯並びがガタガタだった若い頃のトムクルーズ
- ハリウッドキャリア3本目でいきなり「ゴールデングローブ賞」ノミネート
- なんでも吸収するスポンジのような男
- 命知らずのスタントシーンが凄い
- 信じられないくらい温かくて親切なトムクルーズ
- 3か月に及ぶ撮影の飛行訓練が大変!戦闘機も所有しているトムクルーズ
- 3度の結婚と離婚そして3人の子どもがいるトムクルーズ
- 親日家で日本に来日する回数が多いことで知られている
トムクルーズの若い頃や壮絶な幼少期の話など、伝説的なエピソード11選を紹介していきます。
伝説①漫画の世界よりも展開が速かった10代のトムクルーズ
若い頃のトムクルーズも多くの子供たちと同じように、幼少期からバスケ、ホッケー、レスリングなどのスポーツに惹かれました。
1970年代には、グレンリッジ高校在学中にレスリングチームに所属しました。
レスリングは彼に集中力を与え、攻撃性への対処法を与えたと思う
と、トムクルーズと共にレスリングをした仲間は言います。
トムクルーズは高校時代はレスリングに熱中し、とても優秀な選手だったそうですが、アキレス腱を断裂してしまい、レスリングを続けることができなくなり身を引きます。
レスリングを引退してから高校の演劇の世界に入ることになったトムクルーズは、ここから青春漫画よりも展開が加速していきます。
演劇の世界に身を投じた若き頃のトムクルーズは、ガイズ・アンド・ドールズのオーディションに参加することを選択し、役を獲得しました。
あるとき、舞台の観客の中にたまたま偶然に芸能エージェントがいたのです。
そのエージェントがトムクルーズの才能を絶賛し、舞台後に楽屋に押しかけスカウト。
トムクルーズは、エージェントの言葉に胸を打たれ、高校卒業後すぐにプロの俳優を目指してニューヨークへ向かい、数々のオーディションを受けることに。
そして、1981年「エンドレス・ラブ」の端役で俳優デビューを果たします。
若い頃のトムクルーズが、高校時代に怪我をしていなかったら、今のトムクルーズを見ることができなかったのですね!
トムクルーズは俳優を目指す前は「司祭」になるのが夢だった
カトリック教徒の家庭で育った若き頃のトムクルーズは、子供の頃から敬虔なカトリック教徒でした。
そんな環境もあり、司祭になるために神学校で神権の勉強を始めます。
トムクルーズの学友の一人は、
トムは非常に強いカトリック信仰を持っていた。私たちはミサに行き、礼拝堂で時間を過ごし、司祭たちから話を聞くのを楽しんだ。司祭たちは素晴らしいライフスタイルをしていると思い、とても興味を持っていた。
と、語っています。
この神学校では、トムクルーズの演劇への興味が開花し始めた場所です。
最終的に演劇部に入部したトムクルーズの2年間は、俳優のキャリアを積む基盤になったに違いありません。
伝説②俳優として売れる前はバスボーイとしてアルバイトをしていた
トムクルーズは若い頃にハリウッドで大ブレイクする前、バスボーイ兼テーブル清掃として働いていました。
実際にテーブルセットをし、常連客のグラスに水を補充し、汚れた皿を食洗機に運び、ただウェイターを手伝うだけの仕事でした。
1993年の『ザ・ファーム』で、トムクルーズが演じるミッチ・マクディアがロースクールに通いながらテーブルで待っていたシーンがあります。
トムクルーズがお皿とグラスのバランスを取るシーンでびっくりするほど安心感があるのは、過去のアルバイトの経験からきているのです。
スポンサーリンク伝説③家庭環境が壮絶で貧乏な生活を送っていた幼少期
1962年7月3日、ニューヨーク州シラキュース市に生まれたトムクルーズは、幼少期から少年時代と青年期は、波瀾万丈で貧乏で苦労ばかりの悲しいものでした。
父は、何か問題が起きると蹴り飛ばすような人だった。父がどのようにあなたを落ち着かせ、安心させ、その後、ドーンとさせるかということは、私の人生において素晴らしい教訓となった。私にとっては、『この男には何か問題がある。彼を信用してはいけない。彼の周りには気をつけろ』という感じでした。
父親は、何か気に入らないことがあると幼い息子であるトムクルーズを蹴り付けて殴りつけ、機嫌のいいときにはわざとなだめて安心させ、また暴力をふるう繰り返しの毎日でした。
そんな時、トムクルーズが12歳になると両親は離婚します。
母親と姉2人と妹1人と共に連れられ、父親の恐怖からは逃れることはできましたが、もちろん父親の援助はなく貧乏な苦しい生活を送ることになるのです。
また、カトリックの神学校に入学の15歳の時も、ストレスからアルコールに溺れ、母親から家を追い出されてしまう青年期を過ごすのです。
明るい面では、トムクルーズは過去を乗り越えて、望むことは何にでも叶えられることを私たちに示してくれました。
若き頃のトムクルーズにこんなに苦しい過去があったなんて驚きです。
また、トムクルーズが子供の頃に苦しんできた、
- 失読症だった
- 学校でひどいイジメにあっていた
- 学生時代は14年間で15校もの学校に転校を繰り返した
この3点を下記で解説します。
失読症(ディスレクシア)だった若い頃のトムクルーズ
知的、身体感覚などには問題はなく、文字を読んだり認識するのが困難なのです。
失読症の文字の見え方の参考▼
このように、文字がにじんで見えたり重なって見えてしまい、まともに読むことは難しいのです。
生活での具体的な困りごとは、
- 本が読めない
- 学校では教科書が読めない
- 授業では黒板での読みが困難
こうしたことも、トムクルーズが幼い頃にいじめを受けた原因の1つだと考えられます。
トムクルーズが俳優として行っていた台本対策は、テープに録音して繰り返し聞いていたそうです。
失読症を克服するまで、母親やアシスタントが台本を読んでそれを聞き、セリフを暗記して映画撮影に臨んでいたそうです。
しかし、この経験は新宗教「サイエントロジー」と深く関わるきっかけとなりました。
サイエントロジーの活動によって学習障害を克服したと語り、学習障害児の支援活動も行なっていますが、トムクルーズがハリウッドでのサイエントロジーの広告塔として果たしている役割は大きいようですね。
苦手で困難な部分があっても、演技力の能力など素晴らしい所を活かすため、周囲のサポートがあったり、苦手な部分を協力しながら乗り越えてこられたのですね。
スポンサーリンク学校ではひどいイジメにあってきたトムクルーズ
過程で受けていた父親からの虐待以外にも、若い頃のトムクルーズは学校でいじめっ子からさらなる攻撃にも耐える日々でした。
トムクルーズは学生時代の苦しい過去について次のように語った。
私には本当に親しい友人がいなかった。私はいつも間違った靴や間違ったアクセントを履いた新参者だった。物事を共有したり打ち明けたりできる友人もいなかった。そして診断を受けた失読症を患っていても問題は解決しませんでした。
どこに行っても、心が休まることはなく誰かと戦わなければならなかったとしたら…想像すると壮絶ですよね。
学生時代は14年間で15校もの学校に転校を繰り返した
若い頃のトムクルーズは、幼少期から14年間の間に3つの高校を含む15校の学校に転校を繰り返しました。
この異常なほどの転校の繰り返しも、いじめの原因になっていたに違いありませんね。
元クラスメートによれば、トムクルーズとその友人が父親たちから酒を盗んで逮捕された後、学校側がトムクルーズに学校へ戻ってこないように求めたことを説明した 。
まだ未成年ですが、トムクルーズと友人がこっそり抜け出して一緒にタバコを吸うことを楽しんでいたそうです。
学校は両親に、私たち2人を気に入っているが、戻らない方が良いとの手紙を書きました。だから私たちは退学させられたわけではなく、行かない方が良かっただけです。
家庭環境が壮絶だった影響で、青年期の頃のトムクルーズはグレてしまっていたようですね。
スポンサーリンク伝説④歯並びがガタガタだった若い頃のトムクルーズ
トムクルーズは子供の頃に習っていたホッケーの試合中に、滑空するパックによって前歯が欠けてしまいました。
写真を見ても分かる通り幼少期のトムクルーズの歯はガタガタですね。
ホッケーで欠けたのもそうですが、もともと歯並びが悪いようにも感じますね。
若い頃のトムクルーズは、歯並びが悪いまま俳優としてのキャリアをスタートさせ、歯並びの矯正と歯のホワイトニングやセラミック製の矯正装置で歯並びの問題を解決しました。
トムクルーズは、幼少期に父親からの暴力に苦しんだ後に、両親が離婚をしてから貧乏な生活を送っていたため、歯の矯正ができる余裕などない子供時代だったことがよく分かります。
現在は、清潔感ある綺麗な白い歯で笑顔を見せるトムクルーズなので、若い頃に歯並びが悪かったことが想像がつかないですね!
伝説⑤ハリウッドキャリア3本目でいきなり「ゴールデングローブ賞」ノミネート
高校時代に芸能エージェントからスカウトを受けた若い頃のトムクルーズは、1981年に19歳で映画デビューを飾り、その存在感が注目を浴び始めるのです。
そして、1983年のキャリア3年目でには映画『卒業白書』の主演に抜擢。
台本には「パンツ姿で家中で踊る」と1行だけ書かれていただけですが、1分近く踊り続ける名シーンを監督と作り上げ、ゴールデングローブ賞主演男優賞にノミネートされたのです。
まさにトムクルーズは新進気鋭の若手スターですね。
一方で、『卒業白書』と同時期に主演した童貞を捨てるために旅をする若者たちを描いた1983年のコメディ『爆笑!?恋のABC体験』は、トムクルーズ本人的にも出演には全く乗り気ではありませんでしたが、エージェントから出演を命じられて断り切れずにしぶしぶ出演したといいます。
結局、映画は興行・批評の両方で失敗に終わり、日本でも劇場公開すらされず、しっかり痛い目にもあいました。
後のインタビューで本作での経験を、
このときに自分が何をやりたくて、何をやりたくないかを学んだ。良いスタッフと、良い監督とだけ仕事をしなければならない。そうして成長しなければと思ったんだ。
と語っている。
この発言通りに、トムクルーズは高額のオファーでも意思に沿わない役なら断り、逆に自分が出たいと思ったら自ら営業に行き、仕事相手を一流の人だけに絞っていったのです。
スポンサーリンク伝説⑥なんでも吸収するスポンジのような男
1986年に公開された『トップガン』の続編『トップガンマーヴェリック』で再びトムクルーズとタッグを組んだプロデューサーのジェリー・ブラッカイマーは、
製作当時21歳だったトムに、映画作りの全てを教えた。
と、語ります。
ハリウッド映画をけん引するスーパースターに成長したトムクルーズの野心あふれる若き頃を回想するとともに、ストイックな生きざまについて熱く語りました。
ジェリー・ブラッカイマーは、トムクルーズと前作で初めて会った時の印象をこう話します。
撮影が始まった時はまだ21歳だったと思いますが、とにかく映画作りに対してものすごい情熱を持っていました。『なんでも吸収したい!なんでも学びたい!』というトムの気迫に押され、私は教えられる全てのことを教えました。カメラワークや編集作業などクリエイティブな面だけでなく、人の雇い方、問題が起きた時の対処の仕方、さらにはプロモーションのやり方など、ありとあらゆることをね。
そのトムクルーズの熱量は、36年以上経った今も全く変わっておらず、その真っすぐでブレない姿勢がトムクルーズに豊かな経験をもたらしたのです。
『トップガン』以降、ハリウッドの未来を担うトップスターとなったトムは、スティーヴン・スピルバーグやスタンリー・キューブリック、シドニー・ポラックといった巨匠たちと仕事をするチャンスに恵まれ、さらにはダスティン・ホフマンやポール・ニューマンら名優たちとも共演する機会を得て、彼らから学んだことも、全て自分の中に吸収していましたね。トムはまるで “スポンジ”のような男(笑)。
トムクルーズは、何十年経っても俳優の仕事に対して前向きな姿勢で素晴らしいトップスターだと感じます。
自らスターの道を作り上げていったのだと思います。
伝説⑦命知らずのスタントシーンが凄い
- 『トップガン マーヴェリック』戦闘機で空を飛ぶ シーン
- 『ミッション:インポッシブル/ ローグネイション』離陸する輸送機にしがみつくシーン
- 『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』無重力フライトシーン
- 『ミッション:インポッシブル/ ゴースト・プロトコル』世界一高いビルによじ登るシーン
これまで、若き頃からトムクルーズが出演してきた数々の映画の中で、命知らずなスタントシーン4つを紹介していきます。
①『トップガン マーヴェリック』戦闘機で空を飛ぶ シーン
トムクルーズの代表作ともいえる「トップガン」で、パイロット役を演じたトムクルーズや他のキャストたちは、戦闘機を実際に操縦したわけではありませんが、助手席に乗りこんで撮影に臨みました。
1作目で、初めて戦闘機に乗る体験をしたトムクルーズは、酸素マスクの中で吐いたそうです。
しかし、続編『トップガン マーヴェリック』の撮影にも怯むことはなく前向きに挑戦したのです。
出演者は、3カ月におよぶ過酷な訓練で飛行機酔いを軽減する練習をし、搭乗する飛行機を小型機からF-18へと変えていったそうです。
トムクルーズも若い頃から、舞台裏のトレーニング過程に大きな影響を与えていたのです。
スポンサーリンク②『ミッション:インポッシブル/ ローグネイション』離陸する輸送機にしがみつくシーン
『ミッション:インポッシブル』シリーズの、トムクルーズは演じる主人公のイーサン・ハントが、離陸する飛行機の機体側面に命がけでしがみついているスタントシーンがあります。
実際に、100ノットを超えるスピードと1000フィート(約304m)の高さに耐えきりました。
このスタントは、観客だけでなく撮影クルーをも驚かせた。
撮影監督のロバート・エルスウィットは当時、
トムは何かをやりたいと思ったとき、それを実現する方法を見つけ出すのです。トムはもっとも執念深いアーティストです。 飛行機に乗っているのがトム自身でなかったら、彼はあのシーンの使用を望まなかったと思います。
と、語っていた。
トムクルーズは若い頃から、戦闘機を所有するほど空を飛ぶことが大好きです。
何がトムクルーズを、危険なことをやっても平気や怖くないと思わせるのでしょうか?
③『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』無重力フライトシーン
『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』では、トムクルーズと、共演のアナベル・ウォーリスが、急降下する飛行機の中で、振り回されるシーンがあります。
トムクルーズは、後から合成するようなやり方を受け入れず、飛行機が墜落するシーンを無重力の状態で64テイクも撮影することを選択したのです。
スタッフたちはトムクルーズの意見を尊重するために、2日間に4回もの無重力フライトを撮影しました。
そして、お昼ご飯を何回も吐いてしまったほど過酷なものだったそうです。
しかし、この作品は酷評されて失敗作に終わってしまい、軌道に乗ることはなかったのです。こんなに努力したのに……。
④『ミッション:インポッシブル/ ゴースト・プロトコル』世界一高いビルによじ登るシーン
『ミッション:インポッシブル/ ゴースト・プロトコル』では、トムクルーズはドバイにある世界一高いビル「ブルジュ・ハリファ」の130階に登ったりジャンプしたりするシーンがあります。
このシーンは、安全のためにきつく巻かれたハーネスと、ビルのガラスの温度調整まで行ったトレーニング&シミュレーションにより撮影が可能になったのです。
トムクルーズは世界一の超高層ビルを怖がることもなく、軽々しく、いとも簡単に登ってしまったのです。
動画を見ただけで、実際にやってるようにも見えないレベルで凄い。これをやりこなしてしまうトムクルーズは最強のスタント俳優だと思いますね。
伝説⑧信じられないくらい温かくて親切なトムクルーズ
トムクルーズと『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』共演した女優や俳優たちが、トムを大絶賛するコメントを寄せています。
まず、トムクルーズが演じる主人公と組む、敏腕エージェント役を演じたヘンリー・カヴィルは、
自分はそう簡単に『すごい』と思わないタイプだが、トムのスタントには驚かされた。特に山やヘリコプターのスタントが素晴らしいんだ。映画のために、たくさんのスキルを身につけ、最高レベルのスタントをこなす。本当にすごい人だ。
MI6スパイ役を演じたレベッカ・ファーガソンは同サイトで、
トムはその場にいる全員に分け隔てなく注意を払ってくれるので、誰もが『自分は重要人物なんだ』という気分になる。やりやすい環境を作り上げてくれるの。
と称賛。
CIA長官役を演じたベテラン女優のアンジェラ・バセットも、
信じられないくらい温かく親切な人なの。素敵な笑顔を浮かべる人だわ。
と、ベタ褒め。
「ミッションインポッシブル」シリーズを通して、トム演じる主人公の相棒ベンジー役を演じるサイモン・ペグは、
トムのことは大好き。とてもおもしろい人だし、素の彼を知ることができて本当に光栄。彼はたくさんの神話を持つ人だけど、実際の彼はそんなんじゃない。とても楽しい人だし、繊細な人でもあるし、人間なんだよ!でも彼はトムクルーズでもある。『おい、トム・クルーズやってくれよ』って頼むと、サングラスをかけてほほ笑んでくれるんだよ!彼は、俳優の自分がどう見られているか知ってるのさ。これって卓越した能力だと思うよ。
と大絶賛しました。
共演者のみんなが口を揃えてトムクルーズは温かい人と話していますね。
撮影現場で、トムクルーズは若い頃からみんなが仕事をやりやすいように支えている様子が分かりますね。
スポンサーリンク伝説⑨3か月に及ぶ撮影の飛行訓練が大変!戦闘機も所有しているトムクルーズ
トムクルーズの代表作である「トップガン」での撮影では、飛行トレーニングが3か月も続きました。
初心者向けの飛行機からスタートし、基本的なことや手の動きを学び、乗り物酔いをしないように体を慣れさせる練習を重ねました。
また別の飛行機と段階を踏んで練習をし、最終的には国防省から1時間あたりおよそ148万円でリースされ、映画に使われる2人乗りのF-18に。
空中スタントコーディネーターのケビン・ラローサ2世は、
誰かが乗り物酔いをしたせいで撮影が中断したり、遅れたりするということは一度もなかった。
と、3か月も空を飛ぶ体験を積んだことで、撮影が順調に進んだことを語りました。
これはトムクルーズがそれだけの吸収力と才能があり、前向きに撮影を行っていたことを意味していますね。
トムクルーズ本人所有の戦闘機「P-51マスタング」
1986年の「トップガン」以降、飛行機に魅了された若き頃のトムクルーズは、1994年にパイロットの免許を取得します。
トムクルーズは、2000万ドルのガルフストリーム、P-51マスタングを含む3機から5機のプライベートジェットを購入。資産の評価にも価値があると考えているそうです。
このマスタングは、1946年に製造されたシリアル番号 44-12840 があり、民間航空パトロール部隊に寄贈され、最終的にはイリノイ州の博物館に収蔵されました。その後、1997年までに完全に修復され、その4年後の2001年にトムクルーズが購入したんだって!
映画にはP-51マスタングという戦闘機も登場しますが、実はそれはトムクルーズ本人所有のもので、自ら操縦しているそうなのです。
飛行機が大好きなハリウッドスターと言えば、ハリソンフォードもそうですよね!
飛行機を飛ばすのが大好きなトムクルーズは、かなり貴重な戦闘機を手にしていたようですね。
自分のP-51マスタングに友人たちを乗せるのが好きだそうですよ!
伝説⑩3度の結婚と離婚そして3人の子どもがいるトムクルーズ
- 1度目:1987年~1990年ミミ・ロジャース・・・子供はなし
- 2度目:1990年~2001年ニコール・キッドマン・・・養子の娘イザベラと息子コナー
- 3度目:2006年~2012年ケイティ・ホームズ・・・実娘のスーリ
1990年に結婚したニコールキッドさんとトムクルーズは、ハリウッドでおしどり夫婦として有名でしたが、2001年に離婚。
3度目に、2006年に結婚したケイティ・ホームズとは、実娘のスーリちゃんをも授かり、初めての実子を持ちましたが、2012年に離婚することに。
スーリちゃんは2023年時点では17歳に成長しており、母親のケイティと現在は2人暮らしのようです。
実は、ミミーロジャースさんと結婚の前にはメリッサ・ギルバートや、『卒業白書』で共演したレベッカ・デモーネイとも交際していたそうです。
ニコールキッドマンとの離婚成立前から、トムクルーズはペネロペ・クルスとの不倫が公で問題となり、ペネロペクルスと結婚目前と言われたが2004年に破局。
ハリウッドって、結婚と離婚を繰り返すのが当たり前のような環境なのかな?美男美女が多いからすぐ目移りしちゃうとか?
伝説⑪親日家で日本に来日する回数が多いことで知られている
トムクルーズは、2022年5月時点で24回目の来日をしており、数多くいる親日家セレブのなかでも他の追随を許さない“無類の日本好き”として知られています。
「ミッションインポッシブル3」のDVD発売を記念して、日本では10月6日が「トムの日」と制定されていて、空港などでの長時間のファンサービスは恒例となっているのです。
2014年6月、「オール・ユー・ニード・イズ・キル」のジャパンプレミア時では、東京、大阪、福岡、の3都市を半日で回り、日本の小説が原作であることを理由に、東京でのジャパンプレミアで「特に思い入れの強い作品」であることを公言しています。
- 炎天下の中で2時間ものファンサービス
- 東日本大震災後に他のセレブがキャンセルする中トムクルーズは自らの希望で来日
- 日本のTV番組や始球式にも登場したことがある
- 映画の脚本を日本の観客のために一部変更した
トムクルーズの親日家であることのエピソード4選を紹介します▼
スポンサーリンク①炎天下の中で2時間ものファンサービス
日本のファンが大好きなトムクルーズは、ファンサービスにかける時間が桁外れに長いことでもよく知られているます。
以前、最高の猛暑日に東京でジャパンプレミアが開催された時には、何と2時間ものファンサービスを行ったそうです。
今年一番暑いと言われた日で気温が高いうえ、人が集まっているためさらに熱気がこもり異常な暑さに。
しかし、トムクルーズはしんどい顔1つ見せずに、笑顔でファンに対応し、日本のファンをいかに大切に思ってくれいるのかを証明してくれたのです。
日本人としてこれは本当に嬉しいことだ!
②東日本大震災後に他のセレブがキャンセルする中トムクルーズは自らの希望で来日
2011年、東日本大震災が起きた直後、海外セレブたちは安全面を考えて日本への来日のキャンセルが相次いだ。
しかし、トムクルーズだけは、
日本にいるみんなを勇気づけたい!
と、自らの希望で映画『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』のプロモーションのための来日を実現させてくれたのです。
被災地に行くことを希望しましたが、スケジュールが合わず叶いませんでした、
その代わりに、被災者たちに『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』の映画のジャパンプレミアに招待しました。
③日本のTV番組や始球式にも登場したことがある
トムクルーズほどの世界的ハリウッドスターが、日本のテレビ番組に出演するなんて、普通考えられない出来事です。
しかし、トムクルーズは日本への愛から、これまでに『しゃべくり007』『徹子の部屋』『笑っていいとも』『VS嵐』などのテレビ番組に出演したことがあり、さらに2004年は日本シリーズの始球式に登場したのです。
ハリウッドスターがこんなに日本の番組に出演したハリウッドスターはトムクルーズだけなんじゃないかな?
④映画の脚本を日本の観客のために一部変更した
映画『バリー・シール/アメリカをはめた男』の監督を務めたダグ・リーマンによると、
トムクルーズは、何よりも日本のファンとの関係を大切にしているんだ。映画の制作中も常に日本のファンのことを考えていて、必要に応じて脚本の内容を修正することもあったんだよ。
- ここに字幕が入ることを考えたら、このシーンはこうしたほうがいいのではないか
- このシーンは日本でどう受け止められるか
など、何十回も来日して、日本のことをよく理解して想いやりがあるからこそ、気遣いがあり、撮影のスタート時から日本愛が炸裂していたそうです。
トムクルーズは、宣伝だけではなく、プライベートでも来日回数が多くて本物の親日家なのです!
トムクルーズの若い頃をデビューから40歳前までの出演映画を特集!
若い頃のトムクルーズは、デビューが1981年の19歳で、2023年時点で還暦を迎えて映画でのキャリアは40年を越えました。
1986年『トップガン』での世界的大ヒットにより、ハリウッドで世界のトップスターの仲間入りを果たした若い頃のトムクルーズの若い頃の画像年表↓
トムクルーズの1981年19歳のデビューから2000年38歳の若い頃までの主な歴代の映画作品を紹介していきます。
スポンサーリンク1981年(19歳)「エンドレス・ラブ」出演時
1984年の「エンドレス・ラブ」は、スコット・スペンサーの小説の映画化作品で、フランコ・ゼフィレッリ監督による1981年公開のアメリカ映画です。
この作品はトムクルーズの映画デビュー作で、放火をそそのかすデヴィッドの友人ビリー役で数秒だけ出演ししています。
1983年(21歳)「卒業白書」出演時
1983年の「卒業白書」では、瑞々しい演技で注目され、ハリウッド若手スターの候補生「ブラット・パック」の一人に数えられるようになります。
そして、キャリア3年にしていきなりゴールデングローブ賞主演男優賞ノミネートされたのです。
この作品は、トムクルーズが若い頃にスターの道に入るきっかけになった映画なのですね。
また、共演したレベッカ・デモーネイとは、交際にまで発展していたそうです。
スポンサーリンク1985年(23歳)「レジェンド/光と闇の伝説」出演時
1985年の「レジェンド/光と闇の伝説」は、北欧神話を題材としたアメリカのファンタスティック・アドベンチャー映画です。
この頃、若手俳優として人気急上昇中だったトムクルーズや、本作がデビュー作となったミア・サラの起用など、ハリウッド映画としての当時の話題性は高かった作品です。
しかし、映画そのものは単調で盛り上がりに欠けるストーリー展開と演出が目立ち、低い評価と興行的失敗に終わる。
本作の失敗により、『エイリアン』『ブレードランナー』で高い評価を受け、注目を浴びたリドリー・スコット監督は暫く雇われ監督の身となったことでも知られる。
1986年(24歳)「トップガン」出演時
トムクルーズは、1986年『トップガン』の世界的大ヒットで、ハリウッドトップスターの仲間入りを果たしました。
ここから次々にヒット作に出演!これまでは、トムクルーズにアクションのイメージがほとんど無かったのですが、ここからアクション俳優へと出演作が増えていきます。
本作では、トムクルーズが一人で操縦しているシーンも、本当のところは彼の前に操縦士がいて、後に1人乗りの飛行機のようにCGIで見せているのです。
飛んでいるとき、コックピットの中にいるのは、パイロットと俳優のみで、実際に操縦するプロのパイロットは前の席に座り、俳優は後ろに座ります。
普通の映画のように、ヘアメイクさんが合間にお直しをすることも不可能のため、自分でやっていたそうで、飛行中は操縦士に飛びながら光の当たり方の加減など指示したりもします。
まさに、テクノロジー、キャストの努力、創意工夫によって生まれた作品なので、これこそまさに観客を楽しませたいというトムクルーズの熱くて強い使命感の表れと言えますね。
スポンサーリンク1988年(26歳)「レインマン」出演時
1988年公開の「レインマン」は、ダスティン・ホフマン、トムクルーズのW主演の自由奔放な青年と重いサヴァン症候群の兄との出会いと兄弟愛、そして人間としての変化を描いたアメリカのヒューマンドラマである。
ドラマ部門で、第61回アカデミー賞と第46回ゴールデングローブ賞、さらに第39回ベルリン国際映画祭ではそれぞれ作品賞を受賞納めました。
また、2006年に日本で舞台化され、レイモンド役に橋爪功、チャーリー役に椎名桔平、を起用しヒットをおさめました。
1989年(27歳)「7月4日に生まれて」出演時
1989年公開の「7月4日に生まれて」は、1976年ベトナム戦争を扱った戦争のアメリカ映画で、ロン・コーヴィックの同名の自伝的小説を映画化した作品です。
主演のトムクルーズは、役作りのために約1年間もの間を車椅子に乗って生活したそうです。
本作は、第62回アカデミー賞で8部門にノミネートされ、監督賞、編集賞の2部門を受賞した作品です。
スポンサーリンク1990年(28歳)「デイズ・オブ・サンダー」出演時
1990年6月27日公開の「デイズ・オブ・サンダー」は、本作は同年に結婚するトム・クルーズとニコール・キッドマンが共演した最初の作品です。
その後1992年の『遥かなる大地へ』と、1999年『アイズ ワイド シャット』で2001年に離婚するまでに3回共演しました。
本作は興行収入面でもビデオ販売でも成功を収め、レンタルビデオでは4000万ドルを稼ぎ出す人気作になったそうです。
しかし、多くの批評家が、大成功を収めたトップガンと類似しており、「トップガン・イン・レースカー」や「トップガン・オン・ホイール」などと呼び低評価しています。
1992年(30歳)「ア・フュー・グッドメン」出演時
1992年の公開映画「ア・フュー・グッドメン」は、ロブ・ライナ監督、トムクルーズ、ジャック・ニコルソン、デミ・ムーアが共演するアメリカの軍法会議サスペンスです。
この作品は、約3300万ドルの制作費に対し、アメリカだけでも1億4000万ドル以上の興行収入を得た大成功作品なのです。
アカデミー賞やゴールデングローブ賞などの数多くの賞にノミネートされた作品でもあります!
法廷物に外れなしの中で、トムクルーズが演じている分爽快で面白い作品になっています。
本作の見どころは、法廷でのトムクルーズとジャック・ニコルソンとの緊迫感のある対決シーンです!
スポンサーリンク1993年(31歳)「ザ・ファーム 法律事務所」出演時
1993年公開の映画「ザ・ファーム 法律事務所」は、ジョン・グリシャム著の小説『法律事務所』を映画化した作品です。
シドニー・ポラック監督、出演はトムクルーズ、ジーン・トリプルホーン、ジーン・ハックマンなどが共演しています。
珍しくスーツ姿のトムクルーズが、知的な駆け引きを繰り広げ、テンポよく展開されていきます!
1994年(32歳)「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」出演時
1994年公開の映画「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」は、小説『夜明けのヴァンパイア』を映画化された作品です。
本作は、トムクルーズとブラットピットの若き頃の大スターの共演が見れる作品です!
トムクルーズとブラットピットの共演を見るだけでも価値がある作品で、終始トムクルーズとブラットピットの美しさに魅了されます。
ストーリーはよく分からない部分はありますが、トムクルーズと言われなければイメージが違っていて分かりません。
トムクルーズの若い頃の斬新で、新しい一面を見れる作品です。
1996年(34歳)「ミッションインポッシブル」出演時
1996年公開の「ミッションインポッシブル」もトムクルーズの代表作品の1つですね。
トムクルーズはこの作品で初めて映画プロデューサーに挑戦し、自分でビズから監督のブライアン・デ・パルマを選んでいます。
この作品のヒットによりキャリアの転換期を迎え、本作以降は、アクション俳優として多数の作品に出演していきます。
トムクルーズ=アクション俳優として認識している人がほとんどだと思います。
他にも同年は「ザ・エージェント」にも出演しています
トムクルーズはこの作品で、
- ゴールデングローブ賞男優賞
- MTVムービー・アウォーズ男優賞
の2つを受賞しています。
スポンサーリンク1999年(35歳)「マグノリア」出演時
1999年公開の「マグノリア」は、一見関係のない男女9人の24時間を描く群像劇のアメリカ映画です。
この作品でのトムクルーズは、ゴールデングローブ賞 助演男優賞受賞とアカデミー助演男優賞ノミネートされ、ここからは不動の一流俳優となりました。
この作品からトムクルーズが好きになったというファンも多いそうですよ!
若い頃のトムクルーズを3時間たっぷり楽しめる作品ですよ!
2000年(36歳)「ミッションインポッシブル2」出演時
2000年公開の「ミッションインポッシブル2」は、1996年の『ミッション:インポッシブル』の続編でシリーズの第2作目です。
トムクルーズのバイクシーンがカッコよくて印象的なんだ!
ターミネーターのシュワちゃんみたいですね!
本作は、ストーリーの内容というよりもアクションシーンが良かったという声が多い作品です。
以降、2003年には「ラストサムライ」、2005年には「宇宙戦争」出演と、若手俳優からベテラン俳優への階段を駆け上がっていきます。
スポンサーリンクトムクルーズが若い頃にイケメンだと騒がれた当時の画像3選!
デビューしてすぐの若い頃にイケメン俳優が降臨したと騒がれた、トムクルーズの若き頃の画像を激選して集めました!
還暦を迎えた現在の姿もイケメンすぎるトムクルーズですが、若い頃はかなりイケメンで美しい青年だったんですよ!
①トップガンの頃のトムクルーズ
この若い頃のトムクルーズは、1986年の「トップガン」の写真です。
まだ24歳ですが、すでにトムクルーズが大スターとして世間から認知され始める時期ですね。
②デビューしてすぐのトムクルーズ
トムクルーズ=サングラスというイメージは、デビューして間もない頃からだったんですね!
イケメンなのは当然ですが、画像からも大スターになるオーラが漂ってきますね。
③まだ少年感が残るトムクルーズ
この画像は、まだ少し初々しさが残っている若い頃のトムクルーズです。
特に右の画像は、何か成功の鍵を握っているような真っすぐな目をしています。
トムクルーズの若い頃は、こういう感じのイケメンだったのですね!
スポンサーリンクまとめ
以上、【画像105枚】トムクルーズの若い頃の伝説エピソード11選!歯がガタガタで壮絶だった幼少期や出演映画もプレイバック!と題してお届けしました。
2023年、還暦を過ぎたトムクルーズの勢いはまだまだ止まりません。
コロナ禍での撮影中断が何度かあったものの、『ミッション:インポッシブル』シリーズ最新作が7月公開を控えています。
まだまだパワーが有り余っているトムクルーズの最新作をお見逃しなく!
お読みいただきありがとうございました。
他にもハリウッド関連の記事があるので合わせてご覧ください