浜崎あゆみ世代は30代前半~30代後半が占めています。
全盛期の懐かしい若い頃の浜崎あゆみさんの輝かしい活躍を紹介していきます!
スポンサーリンク浜崎あゆみの若い頃をデビューから全盛期までプレイバック!
浜崎あゆみさんの若い頃の全盛期はデビューから2003年頃までですが、2006年にリリースされたシングル「BLUEBIRD」は大ヒット曲です。以降、シングルでのヒット曲はありません。
浜崎あゆみの若い日の全盛期は「あゆになりたい!」と思う人たちが、髪型・メイク・ファッションを真似し、町を歩けば平成のギャルがたくさんいた時代でした。
2006年頃から浜崎あゆみ世代は終了し、2005年~2008年は同じジャンルの倖田來未さんが全盛期を迎えます。
時代は流れ、2010年からはAKB48が全盛期を迎えてギャルよりも清楚系が流行し始めます。
平成のギャル時代を作った伝説の歌姫の全盛期の活躍を紹介していきます。
1993年~「浜崎くるみ」としての下積み時代~松浦勝人さんとの出会い
当時14歳の若き浜崎あゆみさんは女優としてドラマデビューを果たします。
1994年堀越高校芸能活動コースに入学し、アイドルのような清楚系でまだまだ売れていない時代を経験し、1995年「渚のシンドバット」などに出演します。
今では、エイベックスの看板「浜崎あゆみ」として有名ですが、歌手としてデビューしたのは実は2回目なのです。
浜崎あゆみのデビューシングルといえば1998年に発売の「poker face」ですが、本当はその3年前にCDを出しています。
浜崎あゆみの本当のデビュー作「NOTHING FROM NOTHING」
今とは違い、ラップ調に歌っているのが特徴です。
シングルは1995年9月21日、ミニアルバムは1995年12月1日に発売されました。
そして17歳のとき、1年くらい前から年齢をごまかし、エイベックスが六本木で運営していた巨大ディスコ・ヴェルファーレに出入りするようになります。
今は閉店している伝説のディスコ「ヴェルファーレ」
そこで顔見知りになったスタッフにVIPルームに連れて行ってもらい、松浦勝人さんと初めて出会います。
年末のカウントダウンイベントで再び2人は会い、連絡先を交換して以降、浜崎あゆみさんは松浦勝人氏たびたび呼び出されるようになります。
当時、若き浜崎あゆみさんはロックが好きだったようで、それを聞いた松浦勝人氏は、西麻布のバーに連れていき店のカラオケで大ヒット曲を何曲も歌わせました。
カラオケ歌ってたら、その人(松浦氏)がボリュームとかエコーとかキーをいじり出して。「何、この人。人が歌ってんのに」と思って。歌い終わったら、「お前、次、これ歌え」とか言って、globeとか、キーが高いやつをどんどん曲を入れ出すし。それで「歌が下手だから、レッスンに行け」って(笑)
引用:浜崎あゆみ
後日、浜崎あゆみさんから「サンミュージック」を辞めたと聞いた松浦勝人氏は、エイベックスに来て歌をうたえと切り出します。
「歌が下手だからレッスンに行け」とボイストレーニングのために3か月間ニューヨークに行って本気で歌手になるために修行に旅立ちました。
これが若い頃の浜崎あゆみさんのデビュー前のシンデレラストーリーです。
スポンサーリンク1998年(20歳)~1999年(21歳)の活躍
若い頃の浜崎あゆみさんは、松浦勝人さんの熱烈なスカウトで1995年にサンミュージックプロダクションからエイベックスに事務所を移籍します。
そして、1998年4月に「poker face」でデビューを果たします。それからは松浦勝人の命がけの営業で、膨大な広告費用をかけ2か月に1枚CDをリリースし、誰もが知る伝説の歌姫へと成長していきます。
若い頃の浜崎あゆみの顔が化粧品会社にも受け提携を結び、雑誌・テレビなどのメディアの露出戦略が成功したことで、ヒット曲を連発します。
1999年垢抜け前の浜崎あゆみ
1999年1月、さらに加速しデビューアルバム「A song for ××」で約145万枚を売り上げ、オリコンチャート1位を獲得し、3か月後の4月、つんく♂がプロデュースした7thシングル「LOVE 〜Destiny〜 / LOVE 〜since1999〜」が、シングル初のオリコンチャート1位を獲得。
若き日の浜崎あゆみさんが作詞した曲が瞬く間に若者に受け、渋谷の街も浜崎あゆみ色に染まってしまうエイベックスの宣伝方法が話題になり、知名度が上昇します。
松浦勝人さんに当時からビジュアルが完璧と言われていましたが、松浦氏の思い通り、浜崎あゆみの可愛くて綺麗な見た目と奇抜なギャルファッションに刺激を受けた若者たちがこぞって真似をし「女子高生のカリスマ」と呼ばれるほどに社会現象になりました。
1999年の出演CM
- 「桃の天然水」
- 「AUBE」
- 「こんがりショコラ」
- 「HONDAジョノクレア」
- 「セブンイレブンのCMソングに起用」
口紅のCMですね!当時、浜崎あゆみになりたい人たちがあゆと同じ口紅をみんなが購入したでしょうね!!
スポンサーリンク2000年(22歳)の活躍
2000年、絶頂期にある若き日の浜崎あゆみさんは左耳に突発性難聴を患ってしまいます。
しかしながら、左耳が使えるまで歌い続けるとまだまだ走り続けることを決意し、6月発売のシングル「SEASONS」では136万枚のミリオンセラーを記録します。
12月13日発売の19thシングル「M」では初めて自身で作曲を手掛け、132万枚のミリオンセラーを達成。
この「M」の意味は、松浦勝人氏のことを意味していることを、2019年に自伝的小説「M」で打ち明けたことが話題となり、2020年に安斉かれんさんがあゆ役に適任されたドラマ『M 愛すべき人がいて』が放送されました。
エイベックスは、当時あまりまだ行われていなかったCDをCMで宣伝するということを実践。CMを見た人たちは「このCD売れてるんだ!」という認識を狙ったと話していた松浦勝人氏。
ライブ・コンサート・グッズ・CM・広告宣伝・メディアの露出と、エイベックスは若き頃の浜崎あゆみに莫大なお金を掛け、デビューからわずか1年であっという間にCD総売上げ200億円を突破する絶大な人気ぶりを記録しました。
スポンサーリンク2001年(23歳)の活躍
2001年、デビュー3年で初のベストアルバム『A BEST』を発売し、デビューからCDリリース速度の勢いを止めることなく走り続けたことで、史上初二年連続CD総売上げ200億円を突破しました。
その日はなんと、大人気アーティストで有名な宇多田ヒカルさんの2nd アルバム『Distance』の発売日でした。
浜崎あゆみさんVS宇多田ヒカルさんというビックアーティストの同日発売日には、メディアも大注目でした。
結果、アルバムの当日売り上げは、宇多田ヒカルさんの『Distance』が300万枚、浜崎あゆみさんの『A BEST』が287万枚で2位でしたが、「日本で最もCDが売れた日」と伝説のCDが売れた日となりました。
年末には75万枚売り上げを記録した24thシングル「Dearest」で日本レコード大賞を初受賞し、3度目の紅白出場を果たします。
ネイルクイーン・ベストジーニスト賞にも選ばれ女性初殿堂入り
- ネイルクイーン:2000年~2002年3年連続受賞
- ベストジーニスト:2000年、2001年、2003年~2005年受賞
2002年(24歳)の活躍
2002年、今まで右肩上がりだったCDの売り上げも徐々に低迷し始めますが、今まで以上に活躍が目立つ年となりました。
- 1月1日発売の4thアルバム『I am…』がダブルミリオンを記録
- 7月24日発売の27thシングル『H』でシングルミリオンを記録
- 12月18日発売の5thアルバム『RAINBOW』ミリオンセラー記録。
3月25日号『タイム』誌アジア版の表紙を飾り、雑誌『Free & Easy』とコラボ企画した4月24日発売の26thシングル「Free & Easy」発売と同時に雑誌の別刊『浜崎共和国』を発売しました。
9月26日に発売した28thシングル「Voyage」に合わせ、短編映画『月に沈む』が公開しました。女優としては約6年ぶりの演技でした。
10月12日、毎週土曜日23:30~全国フジテレビ系で、初めてのレギュラー番組で初の総合司会を務める若き浜崎あゆみの冠番組『ayu ready?』の放送が開始され、多忙の日々が続きます。
スタジオに来てくれたゲストたちのリクエストに、あゆができる限り答えておもてなしをするという番組内容です。ゲストと音楽のセッションもあり、トークも音楽も楽しめる番組でした。
12月、67万枚の売り上げを記録したシングル「Voyage」で、日本レコード大賞を2年連続で受賞し、4度目の紅白出場を果たしました。
スポンサーリンク2003年(25歳)の活躍
2003年頃から、歌番組などでコーラスがつくようになります。
バックコーラスのクセが強すぎて、あゆの歌詞が入ってこないという声も出てきました。
今までのような爆発的売り上げはないですが、12月17日に初ミニアルバム『Memorial address』を発売し、ミリオンセラーを記録しました。
37万枚を記録した11月6日発売の31stシングル「No way to say」で史上初のレコード大賞3連覇を達成し、5度目の紅白出場を果たしました。
若い頃の浜崎あゆみさんの全盛期はこのあたりまでです。
No way to sayもかなり有名な曲ですね!この曲が、全盛期最後のヒット曲です。
全盛期後の2004年~2006年
スポンサーリンク浜崎あゆみが伝説の歌姫と呼ばれた若い頃の伝説エピソード10選!
若い頃の浜崎あゆみさんが「伝説の歌姫」や「女子高生のカリスマ」と呼ばれた時代から20年以上が経ちましたが、現在は「カリスマ不在の現代」と言われており、SNSが普及したことによりインフルエンサーと呼ばれる人たちが登場します。
昔みたいに、生活の中心にあるメディアがテレビではなく、スマートフォンがメインの時代です。
一人一人、個人の興味が分散し自分に合った情報を仕入れることができる時代になったからこそ、あの頃の浜崎あゆみは伝説だったと語られるのだと考えます。
現代から考えると、たった一人の浜崎あゆみというカリスマから流行が生み出されていたと考えると特殊で良い時代だったなと思います。
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伝説①あゆになりたいファンが続々と金髪ショートに
1996年頃まで、茶髪のロングヘアやメッシュが都会に住むの女の子たちの定番ヘアスタイルでしたが、金髪ショートで堂々と登場した浜崎あゆみさんが当時は斬新でした。
全盛期の初期の若き浜崎あゆみさんの金髪ショートは最強に可愛く、あゆになりたい若者達がショートヘアにするが、想像していたものと違う仕上がりになっていしまう!と言いう人が続出しました!
金髪ショートヘアは、誰でも似合うわけではなく完璧なビジュアルの浜崎あゆみさんだからこそ似合っていたのですね。
伝説②ネイルを当たり前にしたのが浜崎あゆみ
今では当たり前になっているネイルですが、当時、こんなキラキラ・ゴツゴツした派手なネイルはまだ流行しておらず、浜崎あゆみさんが第一人者だと言われています。
若き浜崎あゆみさんは2000年から日本ネイリスト協会が主催する「ネイルクイーン」に3年連続受賞していますが、3年目の2002年の授賞式で6.5カラット相当の100個のダイヤモンドを載せたネイルを披露し、桁違いネイルが度肝を抜かれ、注目の的となりました。
ダイヤモンドの値段は品質によっても様々ですが、1カラットは0.2gのことで、相場は150万円~700万円と幅広いです。
若き日の浜崎あゆみさんが披露したネイルは6.5カラットということなので、最低でも1000万以上かかっているネイルです。
浜崎あゆみさんレベルだと、相当価値の高いダイヤモンドを使っているはずなので5000万円以上かけていると考えるのが妥当ですね。
スポンサーリンク伝説③ヒョウ柄・迷彩柄・ゼブラ柄のファッション
浜崎あゆみさん=アニマル柄というイメージですね!
「Duty」や「GUILTY」のCDの表紙がヒョウ柄でインパクトがあります。
ツーカーという携帯メーカーコラボで出した、浜崎あゆみモデルの携帯です。
デビュー20周年を記念して、浜崎あゆみモデルのヒョウ柄のコンバースも登場しました。
若い頃の浜崎あゆみさんがヒョウ柄や迷彩柄、ゼブラ柄などを身に着けていなかったら、現代もこの柄は流行していなかったはずです。
当時の若き浜崎あゆみさんが身に着けていたからこそ、アニマル柄=可愛いという認識になったことに間違いありません。
アニマル柄は、派手なのでなかなか身に着けるのに勇気がいるデザインですからね!筆者も当時、浜崎あゆみさん憧れて身に着けていました。
伝説④携帯デコ・サングラス・しっぽのファッション
前例がないファッションアイテムも若い頃の浜崎あゆみさんによって数々と生み出されました。
当時は、ガラケー時代だったので今みたいにスマホカバーが自由に選べる時代ではなかったのです。
2001年のシングル「evolution」のミュージックビデオ
若き浜崎あゆみが当時身に着けていた携帯デコ、大きなサングラス、しっぽは若者には斬新でしたね。特にしっぽは、ファッションの一部で腰につけたり、携帯ストラップにしたり、学校のカバンに着けたりしていました!
大きなサングラスは難易度が高めでしたが、携帯デコやしっぽはティーン世代はあゆの影響で必ず身に着けていたんじゃないかと思います。
伝説⑤熱狂ファンが「あゆ車」にカスタム
熱烈ファンたちが、浜崎あゆみの愛を車で表現したいと丸ごとカスタムしてしまう「あゆ車」と呼ばれる車が登場しました。
現在もファンによる「あゆ車」は存在します。
ライブ・コンサートになると列に並んでいて名物となっています。
スポンサーリンク伝説⑥1999年から飾ってきた雑誌表紙の数々
1999年のあゆの顔が、広瀬香美さんに見えてしまいます(笑)
この表紙は、若い頃から浜崎あゆみさんが飾ってきた表紙のほんの一部です!
現在まで、たくさんの数えきれないほどの雑誌の表紙を飾られています。
メイクやヘアスタイルで、時代の変化が分かりますね!
「女子高生のカリスマ」と呼ばれた若い頃の全盛期は、みんなあゆが載っている雑誌を買って真似していましたね!
スポンサーリンク伝説⑦リアルな気持ちを表現した心に刺さる歌詞
若い頃の浜崎あゆみさんは、福岡県福岡市早良区出身で、朝鮮半島から近く当時移住してくる朝鮮人が多かったようですが、浜崎あゆみさんの祖父母もその一人で太平洋戦争中に、朝鮮半島から日本に移住してきた朝鮮人だと言われています。
朝鮮の人たちが集まる部落に住んでいたということから、小学校・中学校ではイジメられていた経験があるそうです。
また、幼い時に父親が失踪してしまうど、幼少期から相当辛い思経験をされてきました。
浜崎あゆみさんが書く歌詞には、孤独をテーマにした歌詞も多く自分が体験したリアルに感じた気持ちを表現していることが将来に不安を抱える若い世代の人たちの心に届いたのです。
恋愛の歌詞もそうですが、同世代の女の子達に響き、リアルさが共感を呼びました。
伝説⑧全盛期のCDの売上はミリオンセラーの連発
2003年度までは、日本レコード協会が20万枚売れると“ゴールド認定”とされてきました。100万枚以上の売り上げを記録すると“ミリオンセラー”と呼ばれます。
それを踏まえて、若い頃の浜崎あゆみさんの全盛期がどれほど凄まじかったのか、2006年までをチェックしていきましょう!
※現代では、音楽市場の形が変わったためゴールド認定は10万枚の出荷枚数となりました。
ミリオンセラーは赤で色分けしています ▼
売上枚数が100万枚を超えたシングルが5曲も!!
シングル売上枚数
アルバム売上枚数
アルバム「A BEST」の売上枚数が430万枚越えってすごい伝説ですね!
デビューしてから、全盛期はほとんどの曲がゴールド認定しているのが分かりますね!
スポンサーリンク伝説⑨CREA名義でもいくつか作曲し大ヒットを連発
CREAとは浜崎あゆみさん本人のペンネームです。
- M
- evolution
- NEVER EVER
- Endless sorrow
- UNITE!
- I am…
- Naturally
- still alone
- Endless sorrow~gone with the wind ver.~
- Heartplace
- Dolls
- Close to you
- winding road
- Humming 7/4
他にも、「Voyage」や「SEASONS」などの名曲もCREAとしてD・A・Iさんと共に手掛けています。
浜崎あゆみさんは、発売当時は「CREA」として作曲していることは伏せられていました。
「M」は、CREAとして初めて作曲した曲では2週連続オリコンシングルチャート1位・ミリオンセールスを記録します。
作曲でもそのカリスマ性が発揮されたのです。
そして、この「M」は2000年ラストに、チャートで1位に輝いた曲となりました。
つまり、20世紀最後の1位の歌が、浜崎あゆみさんが手がけた曲だったのです。
伝説⑩NHK紅白歌合戦出場歴は15回!
紅白歌合戦に出場した曲ごとの衣装をまとめました!
紅白歌合戦1999年~2013年に出場した衣装を紹介!
デビューから1年後の1999年に第50回紅白歌合戦に初出場から合計15回の出演を果たした浜崎あゆみさん。
とても派手な衣装で演出されていますね!!
個人的には、1999年の「Boys&Girls」と2003年の「No way to say」の衣装が浜崎あゆみさんぽくって好きです。
全盛期が終了する2004年の「Moments」あたりから、ブレてきているのが衣装からも分かります。
ブレてきたかと思えば、2008年「MirrorcleWorld」でまた浜崎あゆみさんっぽい衣装を見ることができました。
紅白歌合戦を振り返ったら若い頃の浜崎あゆみさんの全盛期は1999年~2003年ということが分かりやすいですね!
スポンサーリンク2014年紅白歌合戦に落選したのに自ら卒業宣言にマスコミが失笑!?
15年間も連続で出場していた紅白歌合戦を「卒業」という形で「ベストなお別れができた」「NHKホール卒業させて頂きます」と浜崎あゆみ本人が語り、マスコミが失笑しました。
浜崎あゆみさん、は2014年10月シングル「Terminal」が売り上げ枚数が3000枚と、人気が極端に下がったことが話題となりました。
「卒業」という言葉を口にして、自ら出ないと決めたような言い方ですが、ただ単に落選してしまったことが受け入れられなかったのではないでしょうか。
2013年演歌歌手の大御所北島三郎さんが紅白出場50回目を機に「卒業」という形で、最後の出演にNHKから晴れ舞台となるステージが用意されましたが、SNS上だけで済まされてしまった浜崎あゆみさんとそれと対応が違いますね。
紅白歌合戦の基本的に正式な発表がされてから解禁というルールがあります。解禁前に「卒業」と公言した浜崎あゆみさんの行動は完全にルール違反だったのです。
最後にNHKの顔に泥を塗る形を取ってしまった行動に、自分勝手なことをする浜崎あゆみは「紅白歌合戦」にそもそも出場する権利はなし、と思っているのではと推測されます。
2013年を最後に、現在まで出場はしていません。
アーティストのゆずのように何度か落選してもまた呼ばれることがあるので、浜崎あゆみさんもきちっとした対応を取るべきだったのではないかと思いますね。
一度は卒業したものの、また出場してくれることを期待しているファンも多いと思います。
伝説⑪私生活で使う買い物の額がエグい
全盛期の頃の浜崎あゆみさんは、なんと普段のショッピングでは1回に200万円程買い物することもしょっちゅうで、それが週に1度。
ってことは、月額1000万円越え…!?
20万円する高級バックも、5色の色違いを全部揃えるなどの買い物っぷりも。
インターネットでの買い物では、1回100万円を超えることは当たり前。
また、仕事で香港を訪れた際には、1度の買い物で高級品を買い漁り、約700万円ほど使ったとか。
香港に滞在の3泊4日間、毎日のように買い物をして、帰国する時は買った物たち日本まで運ぶために小型のトラックをチャーターしたんだって…。
その他にも、公私ともに荷物が多すぎることでも有名な浜崎あゆみさん。
持ち運ぶ衣装や靴だけでも100~200程準備するそうで、飛行機での移動時には手荷物料金が100万円近くになるそうです(笑)
スポンサーリンク浜崎あゆみの若い頃の全盛期はどれほど凄まじかったのか!?
浜崎あゆみさんの若い頃の全盛期だけでも推定年収はなんと約12億円とも言われています。
完璧なルックスと独特の歌唱力で浜崎あゆみの時代を作ってきた彼女は、当時どのくらい凄まじかったのでしょうか?
1999年~2003年頃の全盛期だった頃を、可愛いビジュアルからCDの売上枚数、同じように伝説を作ってきた安室奈美恵さんや倖田來未さんとの比較も紹介していきます。
ビジュアルが超絶カワイイ全盛期
全盛期の若き浜崎あゆみさんが特に可愛かったんです!ビジュアルは誰も勝てないんじゃないかと思うくらい可愛かったんです!!
私が個人的にあゆが最強だと思うビジュアルを紹介していきます!
可愛いと美人と綺麗が揃ったこのビジュアルで、突き刺さる歌詞の楽曲を歌われたら誰でも心奪われてしまいますよね。
若き浜崎あゆみさんの全盛期といえばロングヘアも似合いますが、やっぱり「金髪ショート」です!
スポンサーリンク若い頃の浜崎あゆみの全盛期は安室奈美恵や倖田來未よりすごかった?
結論から言うと、全盛期は断トツで浜崎あゆみさんがぶっちぎりですごかったですが、世代が全然違うので比較対象にならないというのが本音です。
一番の根拠は、アルバムの最高売上枚数です↓
- 浜崎あゆみさんの「A BEST」429.4万枚
- 安室奈美恵さんの「Sweet 19 Blues」335.9万枚
- 倖田來未さんの「BEST~first things~」191.7万枚
※倖田來未さんの売上枚数は配信サービスが増えてきた当時にしては、浜崎あゆみさんや安室奈美恵さんと同等の数字だと考えられます。
アルバムの売上枚数から見ても、断トツで浜崎あゆみさんがどれほどすごかったか分かります。
浜崎あゆみさんの自身で作詞作曲を手掛けて街中を自分の色に染めていくようなカリスマ性はすごかったですが、安室奈美恵さんもファンによる超ミニスカート、底の厚いブーツ、肩まで垂らす長い髪というアムラーブームを巻き起こす影響力がすごかったです。
しかし、全盛期が終わってもずっと安定して人気があったのは安室奈美恵さんただ一人です。第二ブレイクの人気絶頂期に引退という業界からの去り方がかっこよかったですね。
浜崎あゆみさんや倖田來未さんは全盛期後は固定ファン以外の人気はほとんどなく時の人という印象があります。
- 安室奈美恵の全盛期1995年~1997年
- 浜崎あゆみの全盛期1999年~2003年
- 倖田來未の全盛期2005年~2008年
世代が完全に違います。安室奈美恵→浜崎あゆみ→倖田來未と、年代に分かれているので被っていません!
安室奈美恵さんと倖田來未さんの全盛期の一部のCD売上を見ていきましょう▼
安室奈美恵の全盛期CD売上一部
CAN YOU CELEBRATE?がシングルで230万枚近くの売り上げが!!
倖田來未の全盛期CD売上一部
倖田來未さんの時代は、着うたやyoutubeが出始めた頃なので、CD売上がかなり下がった時代です。浜崎あゆみさんや安室奈美恵さんのようなカリスマ性はなかったもののエロかっこいいという独自のスタイルを貫いていましたね!
よく比較されがちなこの3人をどうしても比較するのであれば、全盛期に巻き起こした影響力が半端なかったのは浜崎あゆみさんということは間違いありません。
しかし。安室奈美恵さんや倖田來未さんの全盛期も相当な影響力だったことは誰でもわかりますね!
まとめ
以上、【全盛期画像110枚】浜崎あゆみの若い頃の伝説エピソード11選!女子高生のカリスマと呼ばれた歌姫時代をプレイバック!と題してお届けしてきました。
浜崎あゆみさんの若い頃の全盛期は、エイベックスが莫大な金額をかけての露出作戦に成功し、数々のヒット曲を生み出してきました。
20年たった今も、固定のファンがたくさんついているのも全盛期の頑張りがあったからだと思います。
浜崎あゆみさんを超えるアーティストはこの先も現れることはないでしょう。
お読みいただきありがとうございました。
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