ジョニーデップは、2003年に公開した映画「パイレーツオブカリビアン呪われた海賊たち」で世界中を虜にした、世界最大の映画スターの一人です。
以降、パイレーツオブカリビアンの全5シリーズに海賊の船長“ジャックスパロウ”として全て出演しました。
- 世界で10番目に高い興行収入を誇る俳優
- 2012年に世界で最も高額な俳優
言わずもがな、世界的ハリウッドスターです。
そんな本物の大スターである若い頃のジョニーデップはどのようにキャリアを積み上げて誕生したのか、デビューのきっかけは何だったのか、デビューからパイレーツ出演前までの目が出る前の時期を徹底調査します!
- 1984年21歳のとき映画デビューはニコラスケイジの紹介だった?
- ジョニーデップ若い頃をデビューから40歳パイレーツ出演前までを特集!
ジョニーデップの映画デビューはニコラスケイジの紹介!伝説エピソード5選!
上記で紹介したジョニーデップの輝かしいハリウッドスターのキャリアがあるのは、ニコラスケイジが潜在していたジョニーデップの才能を見つけて導いてくれたお陰だといっても過言ではありません。
1990年代、アクション映画で注目を集め、ヒーロー役も悪役もどんな役でも輝きを放っていたニコラスケイジ。
若い頃にジョニーデップがニコラスケイジと知り合ったのは20歳の時です。
当時5歳上のメイクアップアーティストの“ロリ・アン・アリソン”結婚していたジョニーデップは、妻の“ロリ・アン・アリソン”からの紹介でニコラスケイジと仲良くなります。
ニコラスケイジは当時妻だった“ロリ・アン・アリソン”の元恋人だったそうです。
当時、ニコラスケイジはバンドをしていた若きジョニーデップに俳優の才能があると感じ、エージェントに紹介したことが大スターになるきっかけです。
①バンド活動から一夜で一気に有名スターの道へ
ロックスターのなることが夢だった若きジョニーデップは、高校を16歳で中退して「The Kids」というバンドをフロリダ州で結成して、ギタリストとして活動していました。
当時はバンドの活動をしながら、電話越しにペンを販売するバイトをしていたそうです。
そんな中、ニコラスケイジから俳優の道を勧めれオーディジョンに付き添いとして足を運ぶと、早速出演の提案を受けることに。
エージェントに提案されたのがホラー映画の「エルム街の悪夢」のオーディションでした。
合格を勝ち取った若きジョニーデップは主役の恋人役に抜擢され、映画界デビューを果たしました。
しかし、ロックスターになることが夢だった若きジョニーデップは、俳優の仕事に対して前向きではなかったのです。
ある時、尊敬している俳優である“フレデリックフォレスト”と共演がきっかけで本格的に俳優への仕事に対しての道を歩むことになります。
それからジョニーデップは誰もが知る世界的大スターの道を走り続けることになりました。
俳優業の傍ら「HollywoodVampires」というバンドでも活動しています。
HollywoodVampires
バンド活動では、今年の2023年にツアーを行うことを発表しています。
スポンサーリンク②「TheKids」時代にイギーポップ前座を務めるも「クソガキ!」と叱られた過去
若き日のジョニーデップは、高校を中退してロックスターになることを夢見てロサンゼルスへ渡り「TheKids」を結成。そこでリードギタリストとして活躍します。
ティン時代に結成したバンド「TheKids」は、まずまずの活躍でイギーポップのコンサートで前座を務めるまでになります。ギグの後、ジョニーデップは勇気を振り絞ってイギーに声をかけてみることを決心する。
INTERVIEWの雑誌のインタービューで、イギー本人からジョニーデップが質問を受けたときにこう話しました。
「ギグが終わると、あなたがクラブの中を歩き回ってて、まだ17歳だった僕はあなたに話しかける勇気を奮い起そうと酒をがぶ飲みした。で、酔っ払いのティーンエイジャーの状態で“よし、彼の注意を引いてやる”なんて恐ろしい決心をしたんだ」
「僕は“イ、イ、イギー・ポップ、ピギー・スロップ”なんてこと、言い始めたんだよ。あなたは僕のとこに来て顔を突き合わせ“このクソガキ”って言い放った。そういうリアクションされて当然ってだけでなく、それこそ僕が望んでいたものだったよ。あなたと会話を交わしたんだ。たとえほんの少し…、叱られただけだったとしても。満足したしハッピーだったよ」
引用元:INTERVIEWの雑誌のインタービュー
イギーポップとは1990年の映画『クライ・ベイビー』での共演がきっかけで仲のいい友人になりました。
若きジョニーデップはティーン時代から度胸ある少年だったんですね!そんな度胸を持ち合わせているから今があるんだろうなと思うエピソードです。
③2007年自己破産の危機に陥ったニコラスケイジにジョニーデップが救いの手
2007年と2008年にの税金の未納分に対する罰金で約6億円支払いを求められ、自己破産をする寸前の危機を迎えていた時期がありました。
そこでジョニーデップがニコラスケイジに電話で「基本的に心配はいらない、僕が全部用立てるよ」と申し出たそうです。
ジョニーデップは、デビュー当時にニコラスケイジがしてくれたことを決して忘れないと、ニコラスケイジが承知すれば本気で彼の代わりに払うつもりでいました。このことを2人に近い関係者が証言しています。
ニコラスケイジは返済のためにB級の映画に出演をしていましたが、現在2022年4月22日に米国で公開された「The Unbearable Weight of Massive Talent」への出演が決まった1年半前に、すべての返済を完了したことを報告しました。
この作品をきっかけに、ニコラスケイジの新しいハリウッド映画の主演俳優の姿を見ることができるかもしれません。
スポンサーリンク④不安定な母親のせいで壮絶だった家庭環境がヤバい
ジョニーデップは昔、1963年アメリカのケンタッキー州オーエンズボロで生まれました。
母は、ウェイトレスのベティ・スー・パーマ、父は土木技術者のジョン・クリストファー・デップ、兄、姉、妹の4人兄妹の末っ子として育ちました。
1978年に両親が離婚し、ジョニーデップが幼少期から抱えていた家庭問題やストレスを調査しました。
ジョニーデップは幼少期に母親から虐待を受けていたことが、2022年4月11日から6週間に及んだ元妻アンバー・ハードの名誉毀損裁判で明らかになりました。
裁判では、元妻アンバー・ハードから薬物使用について主張された時、証人になったジョニーデップの姉“クリスティ・デンブロウスキー”は、母親から虐待を受けてきた幼少期時代をこう話しました。
「(母親が父親を罵倒しているのを見て)私たちは逃げたり、隠れたりしました。母は私たちに手を上げることもありました。物を投げたりもしました」。現地時間4月12日、法廷でこう証言したクリスティは、ジョニーが母親を殴り返したことはあるかという問いに対し、「彼がそのような行為をしたことはありません」と断言。続けて、「非常に幼い頃から、我が家では良くないことが起きていました。そして大人になったとき、私とジョニーは、家を出ていつか自分の家庭を持ったら、自分たちが子供時代に経験したようなことは二度と繰り返さないと、お互いに誓いました。(母とは)違うことをしようと決めたんです」と語った。
引用元;FRONTROW(クリスティ・デンブロウスキー証言)
ジョニーデップの母親はとにかく普通の人とはかけ離れていて、心が不安定と言える人だということが分かりました。
ジョニー デップの幼少期は、母がどこかの場所に長い間住み続けることができず、隣の家に引っ越したことがあるほど異常に引っ越しを繰り返します。
ジョニー デップは以前トーク番組で、「私の母は、引っ越しがとても好きで15歳になる前までにおそらく40回は家を引っ越した」と、当時を振り返っています。
想像を絶する家庭環境で育ってきたことが分かります。幼少期に受けたストレスは一ものなので辛い経験をされてきたことが分かります。
⑤ジョニーデップは若い頃に薬物とドラッグに溺れていた
若い頃のジョニーデップが薬物に手を出したのは11歳の時です。
母親からよく神経薬を取ってくるように言われ、その神経薬が母の心や神経を落ち着かせるものだと気づいて自分も摂取してみたことが薬物に手を出してしまった始まりです。
土木技師をしていた父の仕事の関係で、7歳からフロリダに定住するも、30回以上も引っ越しを繰り返し、最終的に15歳のときに両親が離婚してしまいます。
親の影響もあってか、ジョニーデップの少年時代は、酒とドラッグに溺れたり、自傷行為に走るなどすさんでいたのです。
若い頃は、心の痛みを麻痺させるために薬物や酒に手を出した
と、ジョニーデップが証言しています。
スポンサーリンクジョニーデップ若い頃をデビューから40歳パイレーツ出演前までを特集!
若い頃のジョニーデップは、デビューが1984年の21歳なので、2023年の60歳還暦を迎えて映画でのキャリアが約40年になります。
自分がドラマのイメージに縛られることや商品として扱われることを恐れてしまい、映画のみでキャリアを積んでいくことを決意しました。
以降、ジョニーデップは約40年間、映画での活躍の場を広げてきました。
俳優活動と並行して、2015年に「HollywoodVampires」というバンドを結成してアルバムもリリースしていますが、自身の知名度を利用してまでも本格的なバンド活動はしないことを公言しています。
それでは世界的大スタージョニーデップのデビューからの輝かしい若い頃の活躍を紹介していきます。
スポンサーリンク1984年(21歳)「エルム街の悪夢」出演時
「エルム街の悪夢」は、ニコラスケイジに勧められたことでオーディションに合格し、若い頃のジョニーデップが初出演したデビュー作です。
この頃は、ミステリアスな雰囲気もなく美少年という感じがしますね!
構成がわかりやすくい、演出も派手で気持ち悪くてしっかり怖い、若きジョニーデップのデビュー作としては最高に盛大な作品だと思います。
生物として、人が絶対に逃れられない睡眠から襲いかかってくる恐怖とマッチした音楽が絶妙で、見ごたえがある面白いホラー作品です。
若い頃のジョニーデップのデビュー作はホラー映画から始まったのですね!
※ニコラスケイジの紹介がデビューのきっかけについて、詳しくは目次の第3章で紹介しています。
1985年(22歳)「マイアミ・ホット・リゾート」出演時
「マイアミ・ホット・リゾート」は、マイアミを舞台にしたドタバタ青春コメディです。
この作品は、ジョニーデップが自信の出演リストから恥ずかしくて削除してしまいたいと言っているほど、おバカコメディです。
初々しさやお尻丸出しのシーンはファンからしたらたまりませんね!22歳という若くて貴重なジョニーデップも素敵です。
スポンサーリンク1986年(23歳)「プラトーン」出演時
「プラトーン」は、ニコラスケイジの紹介で出演した作品です。
二等兵の階級で通訳役という端役で出演しています。
オリバーストーン監督がベトナム帰還兵である自身の1年間の実体験を活かし、とてもリアルな作品に仕上げています。
ベトナム戦争の悲惨がよく分かる、人間の愚かさがリアルで酷くて怖いが戦争の恐ろしさを教えてくれます。
若い頃のジョニーデップは、この作品を通して経験を積み重ねていきます。
1990年(27歳)「シザーハンズ」出演時
「クライベイビー」で映画初出演を果たした後、「シザーハンズ」が大ヒットします。
若い頃のジョニーデップとティムバートンがタッグを組んだ最初の作品です。
セリフはそこまで多くはないですが、役にぴったりな表情豊さが、さすがジョニーデップといったところです。
ティムバートン監督の世界観とジョニーデップの相性は本当に最高です。
この作品から、ジョニーデップらしく奇妙でミステリアスさが出てきた作品です!
同年公開の「クライベイビー」で初主役を務めました
1990年は、若き頃のジョニーデップにとって大きな活躍の年でした。
スポンサーリンク1991年(28歳)「エルム街の悪夢ザ・ファイナルナイトメア」出演時
「エルム街の悪夢ザ・ファイナルナイトメア」は、ジョニーデップが若き日の1984年にデビューした映画「エルム街の悪夢」のファイナルです。
ラストの作品ということで、ジョニーデップはゲストという形で出演しています。
1993年(30歳)「妹の恋人」出演時
「妹の恋人」は、ピュアな恋愛物語です。
この作品は、ジョニーデップの不思議で可愛いキャラや魅力が存分に活かされていてハマり役だなと感じました。
ジョニーデップと言えば、やっぱり言葉数が少ない繊細な役というイメージがぴったりですね!
スポンサーリンク1994年(31歳)「エド・ウッド」出演時
「エド・ウッド」は白黒映画で、史上最低の映画監督と言われた映画監督のエド・ウッドを題材にした作品です。
監督のエドウッドを、若き日のジョニーデップが演じました。
この作品と、1993年公開の「ギルバート・グレイプ」のヒューマン映画に出演したことで俳優としての実力を身につけていきます。
1995年(32歳)「ニック・オブ・タイム」出演時
「ニック・オブ・タイム」は、90分という短い時間で完結する上質なサスペンス映画です。
娘を誘拐され「市長を殺せば解放する」とを市長の周りや警察に脅される役をジョニーデップが主演で演じています。
若い頃のジョニーデップは平凡なリーマン役というレアな役を演じていますが、今となってはとても珍しい役だなと思います。
彼ならではの繊細な演技力がとっても光る作品の1つだなと感じました。
スポンサーリンク1996年(33歳)「ザ・カンヌ・プレイヤー」出演時
「ザ・カンヌ・プレイヤー」は、映画祭開催中のカンヌを舞台に豪華ハリウッドスターが本人役で登場し、ウソとハッタリだらけの映画業界の様子をストーリーにした、フェイクドキュメンタリーです。
若き日のジョニーデップを含め、シーモア・カッセル、フランチェスコ・クインなどの超大物の俳優たちが出演しています。
ジョニーデップ目当てで視聴するのであれば、業界の面白さや恐ろしさにも触れられる良い作品だと思います。
1997年(34歳)「ブレイブ」出演時
「ブレイブ」は、若い頃のジョニーデップが初めて監督・脚本・主演をこなした唯一の作品です。
本作で、自身が尊敬する俳優フレデリックフォレストと共演したことが、俳優人生を大きく成長させることになります。
また、2023年春からヨーロッパで撮影が開始される映画『Modigliani(原題)で、この『ブレイブ』以来、ジョニーデップは2作目の監督を務めます。
25年振りということで、「ブレイブ」の反響も良かったので新作の期待がかなり高まりますね!
スポンサーリンク1998年(35歳)「ラスベガスをやっつけろ」出演時
「ラスベガスをやっつけろ」では、若きジョニーデップは原作者のハンター・S・トンプソンの付き人になって彼の癖やしぐさをマスターし、髪型を坊主にして本気で映画の作品に臨んだそうです。
若い頃からジョニーデップは演者として中途半端は許せないプロ意識がすごいと感じます。
才能ある天才が努力するから誰もジョニーデップを越えられない思います(笑)
1999年(36歳)「スリーピー・ホロウ」出演時
「スリーピー・ホロウ」は、ティム・バートン監督が独自の世界観を加えたホラー映画です。
さすが、若きティムバートン×若きジョニーデップの作品で、ユーモアと怖さがミックスした美しい映画だなと感じました。
ティムバートン×ジョニーデップの作品にはずれはありませんからね!
1999年、これまで活躍してきた功績が認められ、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに名前が刻まれました。
スポンサーリンク2001年(38歳)「フロム・ヘル」出演時
「フロム・ヘル」は、19世紀ロンドンで暗躍した、世界的に有名な未解決事件の1つを取り上げた作品です。
切り裂きジャック…連続殺人鬼…と、サイコパス感もありゾクゾクする内容です。
若きジョニーデップが楽しませてくれる映画なのかと思いきや、最後は少し感動ものです!
2002年(39歳)「ロスト・イン・ラ・マンチャ」出演時
「ロスト・イン・ラ・マンチャ」は、長年の夢であった「ドン・キホーテの物語」映画化に臨んだが、制作プロジェクトの運命は瞬く間に暗転していき、挫折するまでを捉えたドキュメンタリー映画です。
当時人気絶頂だった若い頃のジョニーデップが主演を演じています。
1つの映画が完成するまでのたくさんの困難を目の当たりにしました。改めて、映画ってすごいんだなと感じる作品です。
この映画の撮影が終わると、2003年からいよいよ若きジョニーデップがパイレーツシリーズで世界が注目するハリウッドスターへと成長します。
スポンサーリンクジョニーデップがイケメンだと騒がれた若い頃の画像3選!
カメレオンのように変幻自在な人気絶頂だった若い頃のジョニーデップの画像を激選した3選を集めました!
ジョニーデップの若い頃ってこんなにイケメンだったんだ~!
ジョニーデップのイケメン画像①
20歳のハリウッドデビュー時代です!この頃から、若きジョニーデップは才能ある将来有望な美少年が現れた!と世界でビッグニュースとなりました!
ジョニーデップのイケメン画像②
当時は、この美貌からアイドル的人気があったそうです。
女性がだけではなく男性までもを虜にしてしまうジョニーデップの魅力はこの頃からだったのですね!
ジョニーデップのイケメン画像③
1980年代は、まだ個性派俳優のイメージではなく美少年でアイドルというイメージで売れていったのですね。
20代にして、この美貌で度胸もあり、演技の才能も優れているなんて世界的大スターになる要素しかありません。
ジョニーデップの若い頃はこういう感じのイケメンだったのですね!
スポンサーリンクまとめ
以上、【画像129枚】ジョニーデップの若い頃の伝説エピソード5選!1984年21歳の映画デビューはニコラスケイジの紹介だった?と題して紹介しました。
若い頃のジョニーデップはニコラスケイジ紹介のおかげでロックスターの道ではなく、ハリウッドスターの道へと駆け上がってきました。
俳優の道で大成功したジョニーデップは、きっとロックスターの道でも、大成功していたんだろうなと想像がつきます。
お読みいただきありがとうございました。
ジョニーデップの現在の活動状況・最新情報についてまとめた記事がこちら
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